(2) 経緯

両親は姉夫婦に連れられて毎年のように、シンガポールやマレーシアなど、海外旅行をしていたが、ハワイは今回が初めてということで、とても楽しみにして出発した。ワサワサしておらず、のんびり遊べるところということで、人気のオアフ島ではなく、自然の豊かなマウイ島を行き先に選んだそうだ。それまでのアジア旅行と異なり、遠いハワイを目的地に選んだということは、父の病気の遠因だったかも知れないが、このオアフではなくマウイという選択が、実は父にとって最大の幸運となったのだった。

姉から直接電話がかかってきたのが何時ごろだったか、今となっては記憶が定かではない。父の身に異変が起こったのはオアフの空港に着いて間もなくだったという。レンタカーを借りる手配をしに行った義兄を待って、父、母、姉の3人はロビーを歩いていた。父が急によろけ、肩にかけていたショルダーバッグがずり落ちても気づかず、目の焦点が定まらなくなり、ずんずん斜めに行こうとするのを見て、あわてて二人で支えて、近くのベンチに座らせる。仕事関係の知り合いで、たまたま1年前に脳梗塞を起こした人を知っていた姉は、すぐに脳梗塞を疑い、戻ってきた義兄に救急車の手配を頼む。義兄はレンタカー屋(すぐ近く)に取って返し、救急車を呼んでくれと訴える。脳梗塞の疑いありと事前に伝えられたことが幸いし、救急車と病院の受け入れ態勢は実にスムーズだったようだ。ここでも、たまたまの偶然がいくつも重なる。姉の勤め先は医療機器関係と無縁ではない外資系会社。英語が堪能でも、「脳梗塞」などという単語がすっと出てくる人はそうそういないだろう。医療英語に詳しい姉が同行していて本当にラッキーだった。そして義兄も海外赴任経験者で、対外折衝はお手の物。これも大きかった。

直後の父の容態は、左半身麻痺、言語不明瞭、意識混濁。救急車内で応急処置を受けたあと、空港から20分ほどの、Maui Memorial Medical Center(MMMC)というマウイ島随一の病院へ父は運ばれた。そしてマウイが父にとっての最大の幸運だったというのは、この病院にはアメリカ全土で五指に入ると言われる脳外科の医師がいたということを意味する。これがオアフ島だったら、助からなかったかも知れませんと、姉は後で聞かされたそうだ。

検査の結果、心臓の不整脈により出来た血栓が脳血管を詰まらせたもの、つまり脳塞栓だと判明。循環器内科の医師を主治医として、すぐさま脳外科、看護師チームなどが見事な連携でICUで治療にあたり始める。治療開始は発作後1時間以内だった。日本では診療科ごとの垣根があり、なかなか総合的な治療態勢が取れないことが、しばしば指摘されているが、MMMCの態勢はそういった先入観をことごとく覆してくれるものだったようだ。

まず血栓溶解薬(tPA)の点滴による投与。tPAは欧米では極めて効果的だとされているが、日本では今現在でも、やっと承認が検討されつつある段階とのこと。また、発作後何時間以内なら血栓溶解薬を使用するかに関しても、日米では考え方の差があるらしい(薬の種類の違いもあるかも知れないが)。tPA投与により一旦血栓がとけるが、再びどこかで梗塞を起こす。そこで、危険を伴う治療なので家族のサインが必要な、脳血管カテーテルによる患部へのtPA直接投与という緊急の治療に移る。上記の脳外科医は、この脳血管カテーテルのテクニックがきわめて優れている人だったのだ。この治療が功を奏し、麻痺は軽減に向かう。

こうして、ともかく緊急の治療が一段落し、予断は許さないが、最悪の事態は脱したようだという時点で、姉は連絡してきてくれたのだった。父が東京で飲んでいた薬の説明をホームドクターに問い合わせて、FAXで送って欲しいとMMMCが言っているとのこと。そして、4人で泊まるはずだったホテルは病院まで時間がかかるので、明日病院まで5分程度で行けるビジネスホテルに移る予定だと話してくれた。父は本当に助かるのか、入院はどのくらいになるのか、双方が何もかも不安だらけで、でも頑張ろうねと言い合って電話を切った。

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