(3) ICU

時差の関係もあって、姉とは緊急でない限りおもにFAXでやりとりをすることにした。ICUでの2日目頃、父は夜中にもがいて体力を消耗したようだ。夜トイレに行こうとするのが原因だ。もちろん起きられるような状態ではないので、看護師さんがそれを押しとどめる。意識がまだ正常でない父にとっては、きっとトイレに行こうとしているのに、誰かが理不尽にもそれを妨害しているように感じるのだろう。自分が重病で入院しているという自覚もまだないはずだ。もちろん導尿管を使用しているので、ベッド上で排泄をしても一向に構わないのだが、本人にはその感覚がないので、粗相をしてはいけないと本能的に思うわけだ。。看護師さんが英語で説明したかも知れないが、父には英語がわからない。真夜中では通訳してくれる人もいない。夜が明けて、顛末を姉が知り、父に説明してやっと納得してもらえたようだ。

父のMMMC入院に関して、家族の誰もが一番びっくりしたことは、入院3日目、まだICUでの治療が続いている状態から、作業療法士(飲食の方法)、理学療法士(運動機能)によるリハビリが開始されたことだ。脳梗塞という病気の場合、急性期を脱したならば出来るだけ速やかにリハビリを開始すべきであるという方針が、これほど徹底している例を聞いたことはない。ICUのベッドは、病人の左側に色々機器が置いてあって狭いので、家族は右側に付き添っていたが、療法士さんの説明によると、父の場合左側が麻痺しているので、そちらを重点的に訓練することが望ましく、話しかけるのも左側からにすべきだとのことだ。なるほどと感心した。このほか、通常なら言語療法士も参加するのだが、日本語の対応はできないため、患者への対処法を家族に説明するのみにとどまったが、話しかけるときはゆっくりと、ひとつの文は短めに、などと細かい指示があったそうだ。


Maui Memorial Medical Center 正面

「脳梗塞」という病名に接したとき、おそらく多くの人は「脳梗塞ですか、それは大変だ、でも少し後遺症があっても命が助かってよかったですね」というような反応の仕方をするのではないだろうか。つまり、病気が病気だけに、多少の後遺症は仕方ないと諦めてしまう傾向にあると思う。父が病気になる前の、脳梗塞についての私の考え方もまったくこの通りだった。だからPHSに連絡を受けたときに、即「後遺症」というイメージが頭に浮かんだのだ。しかしMMMCの方針は、どんな小さな後遺症もなくなるように最大限の努力をするというものだった。QOL(Quality of life)をいかに重要視しているかのあらわれに他ならない。日本の医療の現場でも、近年はQOLの向上が重視される傾向になってきてはいるが、まだまだ徹底しているとはいえない。父のように重体で運び込まれた場合でも、高齢であっても、命を救うのはもちろんのこと、元の生活ができることを最大の目標として治療にあたってくれるMMMCの姿勢には、本当に感激した。姉も私も「なにせご高齢ですから」という言葉を、誰であろうとMMMCのスタッフから一度たりとも聞いたことがない。後に父は東京のいろいろな病院を経験することになるが、ことあるごとに、どうしても心の中でMMMCの姿勢と比較してしまい、悲しい思いをした。MMMCの主治医から、「お父さんは、適切な治療を続け、きちんとリハビリをすれば、100%元の身体に戻ります」と説明されたとき、姉と母はどんなに嬉しかったことだろう。

ICUという性格からして、治療中は家族は病室に入ることができない。朝病院にでかけ、ICUの前でひたすら入室許可を出るのを待ち、やっと入れても、また治療が始まれば退室しなければならず、そしてまた待つ。姉たちはこれの繰り返し。出来ることもなく、単に待ち続けるというのが一番疲れると姉からの連絡。義兄のほうは、病院のソーシャルワーカーとの話し合い、日本の保険会社との連絡、姉たちの食事の計画など面倒なことを一手に引き受けてくれて忙しい。そして、父よりだいぶ年下だとはいえ、やはり高齢者の部類に入る母は、父の入院という思いがけない事態にすっかり舞い上がってしまい、姉と冷静な話などできない。母は父のそばにいたい意向だったが、母の面倒まで見る余裕のない姉は、母を帰国させる決心をする。

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