(4) パスポート・保険

義兄が姉をマウイに残して、母の帰国に付き添ってくれることになった。そして義兄は国内で自分の仕事の調整や、保険会社との打ち合わせを済ませてから、数日後に再びマウイに戻る予定。その折に私が義兄に同行し、マウイに来て、一時付き添いを交替してくれることは可能かと姉に聞かれた。父の入院はどれだけの期間になるか、まだまったく目途が立たない。姉とて、緊急のこととは言え、そうそう休暇を引き伸ばすわけにもいかず、仕事のやりくりをしてから、またマウイに来たいという意向だ。さて困った。私はこのところ海外に出かけていないのでパスポートが切れてしまっている。パスポートは通常申請してから入手するまで10日くらいはかかるが、それだといくらなんでも遅い。緊急の場合、即時発行してくれることもあると聞いたことがあるので、ともかく調べてみようとした。ところが運悪くその日は土曜日。旅券課に問い合わせても、土・日・祝日は自動応答サービスのみで埒があかない。試しにJTBに問い合わせ、事情を話したところ、親切に調べてくれはしたが、「人道上の配慮」というのに私のケースが該当するかどうかまでは不明だという。ネットでも東京都の旅券課や、外務省や、その他考えられるサイトをあたってみたが、緊急発券の情報は得られず、これには参った。「詳しくは旅券課窓口でお尋ねください」と書いてあるのみだ。その窓口が休みだから調べているのに…最近は少しよくなったかと思い、先日調べてみたが、やはり情報は見つからない。相変わらず、お役所というのは知りたい情報の得られないところだ。

ともかく週が明けるのを待って、旅券課の案内窓口に飛んでいった。父がマウイで脳梗塞で倒れ入院したので、付き添いに行かなくてはならないと、事情を話す。窓口係の中年男性はなかなか親切で、その事情ならおそらく緊急発券の扱いにしてもらえるだろうと言う。「おそらく」というのは、彼自身が審査するわけではないので、あくまで見通しとして、という意味である。正当な理由が必要なので、お父さんの入院先から診断書をFAXで送ってもらうこと、出発便を決めておいて、「どうしてもこの便に乗りたいのです」と主張すると効果的で、すぐ発券してもらえるだろう、などとアドバイスしてくれた。ちなみに、危篤であるとか、もう死亡したという場合には、まったく問題なく即日発券されるそうだ。

9月19日に母が義兄と帰国。MMMCからの診断書がFAXで届いたので、翌日書類を揃えて都庁の旅券課に申請にゆく。今回の窓口の担当者は前回とうってかわって、私の申請に渋い顔をする。義兄が22日の便を確保してくれたので、それに乗りたいと言うと、「あんた、そんな勝手なこと言っちゃ困るよ、3日しかないじゃないの!」と雲行きが怪しい。こちらは胸がつぶれるような思いで早く出発したいと思っているのに、その言い方はないだろう、とカチンと来たが、ここで喧嘩をしても始まらない。でも結局ブツクサ言いながらも、緊急扱いにしてもらえ、「便は何時なの?じゃ、当日の朝受け取って直接成田に行けばいいよね」と、さっさと予定を決められてしまった。まあ、二度手間にならないことは、かえってよかったのかも知れないけれど、当日もし行き違いがあったらどうしようと、ヒヤヒヤものだった。仕事を休む段取りをしたり、出発準備であたふたしている数日の間に、父が一般病棟に移ったという嬉しい知らせも届いた。


緊急発券の場合は、引換書に「急」のハンコが押してある

義兄が保険会社と話してくれたところによると、付き添いの家族は3名、父の海外旅行保険から各14日まで「救援者費用」というのが適用されるとのこと。従って私たちの往復の飛行機代、滞在費は問題ない。ところが肝心の父自身の入院治療費は、保険料が少なすぎて、到底足りないということがわかった。アメリカの医療費、とくにハワイはとてつもなく高額なのだ。日本で社会保険に加入していない人が入院した場合、どのくらいの費用がかかるのかは知らないが、父の場合は最先端の高度な治療を受けていることもあって、ともかく何とおおよそ1日100万円かかる!両親の海外旅行保険は姉が深く考えず、今まで同様もっとも安いものにしたそうで、300万円までしかおりない。それでは3日分しか出ないことになる。もっとかけておくんだったと、義兄が悔しがること、悔しがること。けれども、日本と更に事情が違うのは、入院治療費は交渉で安くなるということだ。これは裏の事情でもなんでもなく、病院のソーシャルワーカーがそうアドバイスしてくれたのだそうだ。海外事情に詳しい義兄も、さすがにこれにはびっくりしていた。

そして保険がらみでは、もうひとつ難題が出てきた。父が帰国できるようになったとして、成田から直接日本の病院に搬送する必要があるとのこと。いつになるかわからない帰国日と、直接容態を診られない患者を受け入れてくれる病院など果たしてあるのか?心当たりはまったくないので、ホームドクター(開業医)に相談しに行くと、知り合いの個人病院(脳神経外科があり、両親の家からそう遠くない)が受け入れてくれるかも知れないので、あたってくださるとのこと。結局これは受け入れOKということになり、その病院がどのようなレベルなのかはまったく不明だったが、ともかく受け入れてくれるところを確保できた安堵感は大きかった。

私がマウイに行ったら、日本との連絡は、できればEメールにしたかったので、ホテルにモジュラージャックがあるかどうか、姉に問い合わせたところ、そういうものは見つからないということで、ノートパソコンを持っていくのは諦めた。そして22日の夕方、義兄とともに成田を飛び立った、今度は海外旅行保険をたくさんかけて。

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