(5) MMMC―1

現地時間22日の午前8時ごろホノルル到着。マウイ島行きのローカル便に乗り換える間、やや時間があるので、手荷物を見ていてあげるから、気晴らしに空港内のお店でも見ていらっしゃいと義兄が気を遣ってくれる。マウイ着は10時過ぎ。ホテルに荷物を置いて、すでに姉の行っている病院へ早速向かう。ちなみにホテルの部屋に入り、ベッドの頭のところをのぞくと、ちゃんとモジュラージャックが1口あいているではないか!まったくIT関係のソフトには強くてもハードにはからっきし弱い姉の言葉を信用してはいけなかった(笑)ノートパソコンを持ってくるんだったと悔しい思いをする。

さてMaui Memorial Medical Centerは、ホテルからレンタカーで10分もかからない丘の上にあった。日本の病院のような形態で外来診療を行なっていないので、病院のロビーは寂しいくらい人気がない。父の病室におそるおそる入る。すっかり痩せてしまっているが、思いのほか元気そうで、上半身の位置を起こしたベッドにいる。「来たよ〜」と言うと、「ご苦労さん、心配かけたね」というようなことを言ってくれたと思う。東京にひとりでいる母のことをしきりに心配するので、私の夫がしょっちゅう行ってくれているので大丈夫、と答える。

病室は二人部屋。窓側にやはり高齢の患者さん。父のベッドはドア側だ。入り口のドアは開け放してある。日本の病院と一見して雰囲気が違うのは、ベッドの大きさのせいだろう。幅も広く、位置も高い(もちろん高さは変えられる)。寝ている人をのぞきこむという感じではなく、ベッド際に立っていても、そう目線を下げないで話ができるのだ。部屋にはトイレがある。壁には本日の日付、その日の担当の看護師名、療法士名、治療食の内容、患者の症状、看護のポイントなどがかかれた小さなホワイトボードがある。これはとてもわかりやすい。

ドアが開け放してあるので、廊下の反対側の病室内も見える。数日たってこちらにも余裕が出てきた頃のぞいてみて気がついた。反対側の病室は見事なオーシャン・ビューなのだ!そうだ、ここはハワイなのだとあらためて実感した。ホテルと病院との往復だけで、海辺にすら行かなかったが、そういえばMMMCは海が見渡せる丘に建っていたのだもの。

MMMCで一番印象に残ったことと言えば、看護師さんかも知れない。一言でいって、質が高く、医師と対等な関係にあり、かなり重要な決定まで任されているようだ。そしてハワイらしさを感じさせるのは、彼女たちの服装。いわゆるナース制服のようなものを着ている人もいるが、多くは白いコットンパンツにカラフルなアロハシャツである。同じ柄のを皆着ているところを見ると、もちろん私服ではなく制服なのだろう。白衣が醸し出す病院臭さがなく、心が和む。そしてドクターたちはもちろん白衣など着ていない。私が最初に会ったドクターは循環器科の若い素敵な方だった。病室に入ってくると、姉と私にまず自分は心臓担当の○○ですと自己紹介をし、父の現在の状態や見通し、投薬の説明などをしてくれる。父には血液の凝固を防ぐcoumadin(warfarin)が処方されており、これは脳梗塞の再発を防ぐ大変重要な薬なので、日本に帰っても続けて飲んでほしいとのこと。私がメモをとっていて、「クーメディン」と聞こえた薬のスペルに迷っていると、メモ帳をのぞきこんで自ら書いてくださった。そして私たちが娘たちであることを言うと、仕事は何をしているのかとか、医師と患者の家族という関係とは思えないような話題にも時間を割いてくださり、これにも感激した。主治医はさすがに威厳のあるもの静かな方だったが、ともかくどのスタッフも、その説明の懇切丁寧なこと、これなら患者側も納得して治療を受けられるはずだと強く思った。ハワイは本土からは遠く離れており、言ってみれば辺鄙なところなはずだし、さほど優秀な医師がいようとは想像していなかったが、聞くところによれば、オフのときのサーフィンを楽しみにハワイ勤務を希望する、海を愛する医師も多いのだそうだ。もちろんもともとハワイの医大出身のドクターもいる。

父は日に日に回復してゆき、姉が帰国した頃はもうPT(理学療法士)さんの指導の下、長い廊下を結構歩けるまでになってきた。父が廊下を歩いていると、顔見知りの看護師さんたちが、「オー!ミスター○○、調子いいですねぇ!」などと励ましの声をかけてくれる。リハビリルームでの運動機能回復訓練の際には、PTさんが私にも通訳のために付き添ってほしいと言うので、父に同行して手や足の動かし方などの指示を父に伝える役目をした。

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