美しい文字

近年「美しい」文字を書く人が極めて少なくなったように思う。読みやすい「きれいな」文字はよくあるが、「達筆な」文字が見られないのだ。今の若者が字が下手だなどと言うつもりはない。年配者で字の下手な人はいくらでもいるのだから。横書きが主流になったために、もともと縦書き用の文字であった日本語の書体が変化してきたのではないだろうか。価値観の多様化、審美眼の変化もあるだろう。美しい行書や草書が、若い人たちには「美しい」と感じられなくなってしまっているようだ。「かわいい」かどうかということが、ほとんどすべての事柄の評価の基準になっているのだとすれば、草書や行書が読みにくく、かわいくないものであることは確かだろう。横書きでハートなどのマークを駆使して可愛らしい字体で書かれたものも私は嫌いではないが、日本古来の美しい文字が忘れ去られるのはやはり悲しいことだ。

筆記用具の変遷も書体の変化と無縁ではないはずだ。日常的に使用されることの多いボールペン・シャープペンシル・フェルトペンの類は、およそ美しい文字を書くのには適していない。読みやすいことを旨とする事務系の文字に向いた筆記具である。筆とまではいかなくとも、微妙な線の太さ細さを出すには、万年筆あるいは芯が柔らかく先のあまり尖っていない鉛筆が一番であろうが、これらを日常的に使用することは稀になっている。生まれてから一度も万年筆を使ったことのない人も現在では多いだろう。

漢字の書き取り…あれは、どうにかならないものか。漢字の一画を、とめなくてはならないとか、はねなくてはならないなどという細かい規則を忠実に守っていては、美しい文字など書くのは不可能だというのが私の持論である。書き取りのテストのために正確に書こうとすれば、わずかでも崩してはならないわけで、ひとつの文字の一画から次の一画への流れ、文字から文字への流れは必然的に寸断されてしまう。

文字の美しさは何も手書きに限ったことではない。パソコン、ワープロを使う人なら、様々なフォントに接しているはずで、印刷用文字に関しても美醜があることがおわかりいただけるだろう。印刷文字などどれも似たり寄ったりだとお思いなら、ぜひ一度は見てほしいものがある。それは「精興社」という印刷会社による活版印刷の本である。もはや活版印刷の本は、一握りの贅沢本でしか見られなくなってしまったが、本を手にとってページを開いてみると、「品のよい」とはこういう文字のことを言うのかと納得できるはずだ。自分の作品の印刷はぜひとも精興社で、と指定する作家も多かったと聞く。活版のための活字で最も美しいと言われているのが「精興社」の活字なのである。現代の、写植を使ったオフセット印刷しかご存じない方に活版印刷といってもピンとこないかも知れないが、文字が紙に微かにめり込んで見えるのが活版印刷である。

手書き文字にしろ、印刷された文字にしろ、現代のものを頭から否定するつもりはないが、ある時代に美しいとされていたものがまったく顧みられなくなるのは何とも残念なことである。古い町並みや、藁葺き屋根の民家を美しいと感じる現代人の感性に期待したいものだ。