祖母の口癖

私が小さい頃から母がなんとも不思議な表現をたびたびするのが気になっていました。ある日、そのことについてたずねると、それは祖母(母の実母)の口癖がうつったものだと説明してくれました。明治生まれの亡くなった祖母は埼玉県本庄市の出身です。本庄あたりでは普通の表現なのかも知れません。あるいは、明治生まれの人には当たり前の表現なのかも知れません。けれども私の世代では使わない言葉なので、これを消滅させるのはもったいないと思い、わずかですが記憶をたどりながら記録しておくことにしました。「今でも使ってるよ」とか「うちの地域ではちょっと違う言い方をするよ」など、情報がありましたら、ぜひお知らせいただければ嬉しく思います。



地獄の十能(じごくのじゅうのう)
熱いものを手で握るのが得意な人とそうでない人がいますが、祖母は得意な人であり、炊き立てのご飯でおにぎりを作るときなど、母が「よくこんな熱いのを握れるわね」と言うと、祖母が「私の手は地獄の十能だから」と言っていたそうです。「十能」とは金属製の小さなスコップのようなもので、炭火の火種を入れて、火鉢に移すために使用する道具です。幼い頃我が家にもまだあったように記憶しています。炭火のような高熱のものを乗せる道具に手を例えた言い方だったのですね。

熟んだ柿が潰れたでもない(うんだかきがつぶれたでもない)
例えば何か届け物をしても、届いたとか、品を気に入ったとか、なんの音沙汰もないことに対して、母はよく使っていました。「熟んだ柿」でGoogle検索したところ、一件だけヒットし、『藤澤清造貧困小説集』という本の中で、この表現が使われていることがわかりました。これに似た表現に「なしのつぶて」というものがあり、語源説のひとつによれば「梨」と関係があるそうです。違う表現なのに果物の名前が双方とも織り込まれていることに、なんとなく興味を惹かれます。

鰯も百遍洗えば鯛になる(いわしもひゃっぺんあらえばたいになる)
「鰯も百回(七回)洗えば鯛になる」はよく言われる表現だそうですが、ことわざというより、生活の知恵を口調のよい言い回しにこめたものと言えそうですね。よく洗って臭みをとれば、安い鰯も鯛のような高級魚と同じくらい美味しくなるということなのでしょう。流通の発達していなかった昔とは現在の魚事情は異なり、鮮度のよい鰯が出回るようになりましたから、この言葉もすたれてしまうのかも知れませんね。ちなみに私は鯛より鰯のほうが好きですが(笑)

天下一(てんかいち)
しゃっくりを止めるには、誰かに驚かせてもらう、冷たい水を飲むなど、いろいろ方法がありますが、母が子供のとき祖母から伝授された技は、息を止め、開いた口の空間あたりに指で「天下一」と書くというものだそうです。もちろん「天下一」という文字がポイントなのではなく、その間息を詰めていることが、しゃっくりを止める要素になるのでしょうが。地方や時代によってヴァリエーションがありそうだと思っています。

茶腹も一時(ちゃばらもいっとき)
この表現は諺として紹介されることもあるので、廃れた言葉とは言えず、まだまだ使う方は多いでしょう。辞典などでは、「わずかばかりのものでも、とりあえず急場を凌ぐことはできる」ということの比喩と説明されているようですが、私の記憶では祖母も母も本来の意味で使っており、私自身も同様に「お茶を飲むことで空腹がとりあえず紛れる」という場面で使います。

芥子は怒って掻け(からしはおこってかけ)
最近はチューブ入りのからしなどが普及してきて、からし粉を水で溶いて練ることをしない人も多いので、からしを「掻く」という言葉自体、もう使われなくなってしまったかも知れません。耳掻きのような形状の小さなスプーンでからしをお猪口くらいの容器に入れ、ほんの少量の水を加え、勢いよく掻きまわします。このときに手早く掻きまわせば掻きまわすほど辛味がちゃんと出るので、「怒って」という表現がついたわけです。「芥子は短気な者に掻かせろ」などという言葉もありますね。練ったからしの入った容器を伏せておくというのもお決まりの手順でした。

御不浄(ごふじょう)
年代によって、また地域によって、まだ立派に通用していると思われるが、さすがに若い年代の人々には耳慣れない言葉だろう。「お手洗い」「トイレ」のことである。私の幼い頃は親もこの言葉を使っていたから、私自身も親の口真似で使っていた時代もあったはずだ。私より6歳若い従妹に先日会ったところ、祖母の言葉で印象に残っているのは、この御不浄だと言っていた。幼かったから漢字も知らず、「ゴフジョー」って変な響きの言葉だなあと思っていたのだそうだ。辞典によれば「便所」を婉曲に言う言葉だそうだから、つまりは比較的品の良い表現だったのだろうが、私の感覚では「ご」や「じ」という濁点の二つも入る言葉なので、なんとなく汚らしい言葉のような気がしていた。

烏が田ァ踏んだ(からすがたぁふんだ)
実はこれは父がよく使っていた表現なので、上記の母方の祖母ではなく、父方の祖母の口癖だったのではないかと思っています。父方の祖母は私が幼稚園の頃に亡くなってしまったので、ほとんど口癖の記憶がありません。さて、この表現は「烏が田ァ踏んだような字」という文脈で使い、下手な字を揶揄する言葉です。カラスが田んぼを歩き回ると足跡がつき、まるでその足跡のような下手くそな字だという意味だろうと見当はつきます。けれども、ネット上を探してもこれに類する表現はまったく見つからず、唯一近いと思われるのは、『枕草子』に出てくる「鳥の跡」という表現だけでした。これもやはり下手な手跡を指す言葉だそうですが、「からす」ではなく「とり」なので、いったい「烏が田―」はどこから出てきた言葉なのだろうと今でも不思議です。似た表現を知っているという方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報いただきたく存じます。