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あるインタヴュー記事より
日時: 2009/11/22 23:07
名前: クルツ

てふママさん、こんばんは。
少し長くなりますが、次の文章をお読み下さい。

En fait j’aime davantage travailler sur les sous-genres, plus spécifiques. Je n’en suis jamais les codes à la lettre, mais les plaisirs qu’ils procurent, je veux vous les donner comme on ne vous les a jamais donnés. Mais il ne s’agit que d’un point de départ. Je cherche à transcender le genre, à le subvertir un peu, mais je veux aussi en tenir les promesses (deliver the goods). Je peux m’amuser avec les genres tout au long du film, mais à un moment, je suis bien obligé de fournir un climax qui fonctionne comme il se doit. Et c’est la première fois que je joue le jeu à fond. Quand Shosanna projette la dernière bobine pendant l’avant-première, je ne peux pas jouer la subversion, ou alors je serais dans la distance, la méditation sur le genre. C’est l’une des « grosses séquences » avec lesquelles, depuis le combat d’arts martiaux dans Kill Bill, je me teste moi-même cinématographiquement. Dans Boulevard de la mort c’était la course automobile, ici c’est la scène à la Jérôme Bosch. Ces séquences-défis, je ne veux pas seulement les réussir, je veux qu’elles soient les meilleures dans leur domaine.

これは、フランスの映画雑誌『 Cahiers du Cinema 』のホームページに掲載されている、Q.タランティーノのインタヴュー記事の一部です。
http://www.cahiersducinema.com/site.php3

よくわからないのが、〈Ou alors je serais dans la ditance, la meditation sur le genre.〉という箇所です。etre dans la distance という表現が端的にわかりません。また、後続の la meditation も dans にかかっているのかどうかというのがちょっと判然としない感じです。いろんな辞書をあたってみましたが、etre dans la distance というのは成句的な言い廻しではないようで、どうも分かるようで分かりません。

さらに、この回答の直前に置かれている質問:Mais les films antinazis des années 1940 étaient animés par un souci de combattre l’ennemi, une sorte de premier degré qu’un retravail du genre risque de briser ? ですが、「une sorte de premier degré qu’un retravail du genre risque de briser」は「un souci de combattre l’ennemi」の同格的な位置にあると考えていいのでしょうか。

お忙しいところ、長文の質問をして恐縮ですけれども、お時間のある折に、教えていただけるとさいわいです。
よろしくお願いいたします。

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Re: あるインタヴュー記事より ( No.1 )
日時: 2009/11/23 00:36
名前: てふママ

クルツさん、こんばんは。

なんだか、私の行動をクルツさんに見られていたのではないかと思ってびっくりしました!まさに今日、『イングロリアス バスターズ』を観てきたところだったからです(笑)

いやあ、英語発想のフランス語訳というのはわかりにくいですね。私もあまり自信はありません。

Ou alorsのくだりですが、être dans la distanceは、そのまま読むしかないのではないでしょうか。「そうでなかったら、私は遠いところにいることになってしまうだろう」くらいでしょうか。
そして、la méditationのほうですが、確かにla distanceの言い換えと考えるとしっくりきませんね。「ジャンルについて思いを巡らして」というような、独立した状況補語ではないかと思います。

質問文に関しては、これがもし純然たる書き言葉でしたら、une sorte de premier degré...は、文法的にはun souci de...と同格的な位置にあると考えるべきかと思うのですが、内容からすると、それだとどうもピンと来ないのも確かです。前半の文意全体をune sorte以下で受けているように読む方が意味が通じるような気がします。疑問形になっていないのに、最後が「?」ですから、余計そんな風に読めるのです。l'ennemiまでが事実の提示で、une sorte以下が疑問文というように解釈するとわかりやすくなってくるように思いますが、いかがでしょう。

夜も更けて頭が回らなくなりましたので、明日また考えてみます。
Re: あるインタヴュー記事より ( No.2 )
日時: 2009/11/23 13:40
名前: クルツ

ご回答拝読。
てふママさんもご覧になりましたか。ぼくはずいぶん楽しみにしていましたから、封切りの金曜に見て来ました。大きな期待にたがわず、たいへんな出来映えで、帰宅後この映画に関する記事などを探していましたところ、問題のインタヴューにぶつかった次第です。

さて、ご解説とてもよく分かりました。質問文の方はかりに訳しますと、こういうことになりますか。

Mais les films antinazis des années 1940 étaient animés par un souci de combattre l’ennemi, une sorte de premier degré qu'un retravail du genre risque de briser ?

しかし1940年代の反ナチ映画は、敵と交戦する懸念によっていのちを吹き込まれていたわけですが、このジャンルの焼き直しをすると、こうした一種の祖型(のよさ)がともすると壊されることになりませんか。

という感じで読みましたがいかがでしょうか。「une sorte de premier degré」というのがくせもので、第一段階、第一親等という意味に解して、そこから祖型というふうに考えてみました。どうでしょうか。

ふたたび質問のかたちになりました。
よろしくお願いいたします。
Re: あるインタヴュー記事より ( No.3 )
日時: 2009/11/23 14:18
名前: てふママ

前半はほぼ私も同じですが、後半が少し違います。

しかし1940年代の反ナチ映画は、敵と交戦することへの関心によって生き生きとしたものになっていたわけですが、このジャンルに手を加えて、こうした一種の(階段の)一段目を大胆にも壊そうとしているのですか?

risquer de をクルツさんは否定的に解釈していらっしゃいますが、私はやや肯定的にとらえて見ました。
premier degréは、反ナチ映画というテーマへのアプローチ(=階段)の第1段目というふうに考えてみました。
Re: あるインタヴュー記事より ( No.4 )
日時: 2009/11/23 14:44
名前: クルツ

ご返信ありがとうございます。

risquer de については、否定的なニュアンスしか念頭にありませんでした。なるほど、ご指摘のとおり、肯定的な調子を含んだ意味に読めますね。premier degre の方は、ぼくもてふママさんに近いところで解釈しているつもりなんですけれど、やや無理のある訳語をあてたせいで、いくぶん本意から逸れてしまったようです。

いつもとても勉強になります。
またご教示よろしくお願いいたします。

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