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comme の訳し方
日時: 2010/06/18 20:08
名前: クルツ

もう一つ教えてください。
同じシムノンの小説からです。

si nous devions partir, il etait temps, j'en etais sur, comme j'etais sur, soudain, sans me demander pourquois, qu'il fallait quitter Fumay.

「もし発たねばならないなら、ぐずぐずしてはいられない。ちょうど、フュメを立ち去るべきだと、理由も問わず、急に確信したように、私はそう確信した。」

上の文章をぼくはこう読んだわけですが、あまりしっくりこないんです。というのも、partir が示す内容は、ほかならぬ quitter Fumay ということですので、ほぼ同じ事柄を comme で比較するのはどうもおかしいと思えます。といって、この comme を時の接続詞や(主節の後に位置してはいますが)原因の接続詞とみて考え直しても、やっぱりおかしなことになりますので、なんとなく居心地の悪いまま上のように読んだ次第です。

引用箇所は、物語のはじめ、ナチスの対フランスの攻撃が開始された日をあつかっています。町の住民の多くが南へ難を逃れるため出発し始める中、主人公はとるべき行動を決しかねていたんですが、いよいよ発つ決心をするというくだりです。

comme はなんとなく苦手にしている単語です。なんでもない文章のようですが、ここでもそれでつまづきました。立て続けにお手数をおかけしますが、ご教示ください。

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Re: comme の訳し方 ( No.1 )
日時: 2010/06/19 01:03
名前: てふママ

この場合のcommeの取り方は、クルツさんの解釈で問題ないはずです。文全体の読み方も、おおむねその通りと思います。おっしゃっている類似の事柄を比較するのは変だというお考えもわかりますが、厳密にはそこがポイントではないのだと思います。

前半は、il était tempsがêtre sûrの主内容であり、後半は、il fallait quitter Fumayがêtre sûrの主内容であると読めますから、partirとquitter Fumayを比較していることにはならないと思います。前後の比較は、soudain, sans me demander pourquoiの部分にポイントがあるように読めます。つまり、「フュメを去らなくてはならない」と確信したことにとりわけ論理的裏付けはないのだが、同様に「いまがその時だ」と確信したことにも確固たる理由付けがあるわけではない、という意味だと思います。どちらも、虫の知らせということになるのでしょう。

たいして変わりませんが、「もし発たねばならないなら、いまがその時だと私は確信した。フュメを去らなくてはならないと、なぜなのかと考えもせず、突然確信したように」と解釈しました。
Re: comme の訳し方 ( No.2 )
日時: 2010/06/19 02:56
名前: クルツ

ご解説を拝読し、とてもよく分かりました。
比較のポイントに留意する考え方、たいへん勉強になります。

たびたびお世話になりますが、続けてもう一つ別に質問いたしますので、そちらの方もよろしくお願いいたします。

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