de travers のあれこれ |
- 日時: 2010/08/03 21:16
- 名前: クルツ
- てふママさん、こんばんは。
さっそくですけれど、質問させていただきます。
Le seul portrait que nous avions de lui, sur le buffet, etait celui pris avec ma mere le jour de mariage. Je me demande toujours pourquoi ils avaient tous les deux le visage de travers, Peut-etre Sophie trouve-t-elle aussi que, sur notre photo de mariage, nous avons les traits de travers ?
またシムノンの「Le Train」からです。すでに読み終えたのですが、思いかえしてちょっと気になった箇所について教えてください。上の文章に2度 de travers が出て来ます。これなんですが、ここでは、斜め向きという意味にも、歪んだという意味にもとれるように思えます。主人公が父親のことを回想しているところですので、時代からいっても、こちらを正視しないでやや横向きの古めかしい写真を想像して、斜めにという意味にとりそうなんですが、そうすると les traits de travers という表現がちょっと変じゃないかという気がします。表情について斜めとはいいませんので、ここは歪んだという意味にとらないと落ち着きませんし、主人公は、物語を語っている現在時制で、そのことをいぶかしく思っているわけですから、大人になって当時の写真のポーズの慣例について疑問を持つのも変だということになります。le visage de travers という表現を調べてみますと、Ce n'est pas la faute du miroir si les visages sont de travers. というロシアの俗諺にあたりまして、これなどは歪んだ顔ということでしょうから、シムノンの文章でもそう読んでも間違いないでしょうか。これは第一次大戦の終戦とともに母親が失踪し、まもなく帰還兵として半ば人格が崩壊した父親が帰ってくる、そのあたりの事情を語る一齣で、写真については前後にこれ以外の言及はありません。親子二代の微妙で陰影の深い夫婦関係をさりげなく示唆しているという意味では、歪んだという訳語ではやや露骨で、もっと適切な日本語があると思いますが。ちなみに問題の多い例の邦訳では、この箇所を事もなげに斜め向きの顔と訳しています。そのせいで逆に疑いが晴れないのかも知れません。長々とすみません。よろしくお願いします。(引用文中の Sophie は主人公の幼い娘の名前です。)
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